黒く輝く烏城の秘密。長野が誇る国宝・松本城の歴史と見どころを徹底解説!

9月中旬を迎え、朝晩の風に心地よい涼しさが混じるようになってきましたね。日中の空も高く澄み渡り、いよいよ本格的な秋の気配が漂い始めています。

こんにちは!「ヤナセの中の人」です。
秋といえば、美味しいものを食べる「食欲の秋」はもちろんですが、お出かけが最高に気持ちいい「行楽の秋」でもありますよね!

そこで今回は、長野県が誇る圧倒的なシンボルであり、現存する日本最古の木造天守を持つ国宝・松本城の歴史とそのディープな魅力に迫ります!


なぜ「烏城」と呼ばれる?松本城の歴史とルーツ

戦国時代の血生臭い歴史から始まった「深志城」

今でこそ優美な姿を見せる松本城ですが、そのルーツは戦国時代の永正年間(1504〜1521年)頃に築かれた「深志城」にまでさかのぼります。当時は武田氏の信濃支配の拠点として使われており、武田氏滅亡後は織田氏、そして徳川氏と、時代の荒波にもまれた血生臭い歴史を背負っていました。

石川親子が築き上げた、現存最古の五重六階天守

天正18年(1590年)、豊臣秀吉の命によって松本に入封した石川数正・康長父子によって、現在の天守の基礎が築かれました。外観は黒と白のコントラストが際立つ五重ですが、内部はなんと六階建て!戦国時代の緊張感が色濃く残る、日本で最も古い貴重な五重六階の木造天守が、奇跡的に現代までその姿を残しているんです。

ここがスゴい!戦う城ならではの建築と防御の工夫

松本城の大きな特徴は、平和な時代に作られたお城とは違い、「いつ敵が攻めてきてもおかしくない戦国時代の実戦」を想定して建てられているところです。

鉄砲や弓を撃つための「狭間(さま)」と「石落とし」

城の壁には、鉄砲を撃つための丸や三角の穴「狭間(さま)」や、攻めてくる敵を真上から攻撃するための「石落とし」などの仕掛けがギッシリ。平地に建てられた城(平城)だからこそ、敵の侵入を防ぐための防衛システムが徹底的に組み込まれています。

思わず足がすくむ!最大61度の「激急な階段」

実際に天守の内部に入ってみると、誰もが驚くのがその階段の急さです。なんと最大で約61度!まるでハシゴを登っているかのような角度になっており、敵が攻め込んできたときに一気に駆け上がりにくくするだけでなく、武器を持った武士が戦いやすいように計算された、まさに生きた建築遺産です。

戦う城から平和の象徴へ?「月見櫓(つきみやぐら)」の意外なロマン

物々しい戦闘モードの松本城ですが、実は天守の横に、全く異なる雰囲気をまとったお洒落な一角があります。それが、のちの江戸時代初期に増築された「月見櫓(つきみやぐら)」です。

徳川家康の三男を迎えるために作られた優雅な空間

戦乱の世が終わり、平和な時代になってから「お殿様が月を眺めながら宴会や詩歌を楽しむため」だけに作られたのがこの月見櫓。三方が吹き抜けになっていて、池に映る月を楽しむためのめちゃくちゃ風流な設計になっています。

黒い天守と朱色のコントラストの美しさ

漆黒の壁面で固められた武骨な天守の横に、朱色の欄干(らんかん)が映える月見櫓がくっついている姿は、全国のお城を見ても非常に珍しい組み合わせ。戦うための「要塞」から、平和を愛でる「象徴」へと移り変わった歴史のロマンが、このビジュアルにギュッと詰まっています。


秋の行楽シーズン、北アルプスの山々を背景に黒く輝く松本城は、息をのむほど美しい絶景を見せてくれます。ぜひ皆さんも、歴史のロマンを感じに足を運んでみてはいかがでしょうか?

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